エルニーニョ現象のメカニズム
気象ハンドブック第3版(朝倉書店)に掲載
南米ペルー沖から東部赤道太平洋にかけての海域は沿岸湧昇と赤道湧昇により他の海域と較べて海水温が低い。この海域の海水温が通常より数度上昇し半年以上持続する現象を一般にEl Nino(エルニーニョ)現象と呼んでいる。これはスペイン語で「神の子」という意味で、元来は毎年クリスマス頃のペルー沖の暖かい南下流を指していた。逆に平年より海水温が低い状態が続く現象を反エルニーニョまたはLa Nina(ラニーニャ)現象と呼ぶ場合がある。
エルニーニョ現象によって海水温が数度上昇すると、積雲対流活動が活発化し、太平洋東部では気圧が低下、西部では気圧が上昇する。このような気圧変化をSouthern Oscillation(南方振動)と呼ぶ。エルニーニョ現象と南方振動は、一つの大気海洋結合現象の海洋側と大気側の変化をそれぞれ見ているに過ぎないという考えから、両者を略してENSO(エンソ)と呼ぶ場合が多い。ENSO現象が生じるとその影響は地球全体に及び、大規模な旱魃や集中豪雨などの異常気象が起こりやすい。
赤道太平洋域での貿易風の弱化で西部太平洋に蓄積されていた暖水が東部太平洋に東進し、海水温の変化を通して更に貿易風を弱め、エルニーニョ現象が発達していくという大気海洋相互作用の正のフィードバックは1960年代後半に既に理解されていた。しかしながら、なぜ貿易風が弱化するのか、なぜエルニーニョ現象とラニーニャ現象が交互に発生する(周期性が存在する)のかという疑問には答えていなかった。
そこでENSOの時間発展を説明するために、Anderson and McCreary (1985)は単純化した大気海洋結合モデルを用いて、海洋ケルビン波の東進と結合した擾乱がエルニーニョ的な振る舞いをしていることを見事に再現した。所謂ビャークネス・フィードバックを大気海洋結合不安定と赤道波という言葉で説明し直した訳である。その後、定在振動が生じるモデルとしていくつかの振動子理論が発表された。ここでは、三つの代表的な振動子理論を簡単に紹介する。
1.遅延振動メカニズム
Schopf and Suarez (1988)は赤道波の伝播と反射の役割がENSOにとって本質的に重要であると主張し、遅延振動子(delayed oscillator)理論を提唱した。中部太平洋の貿易風の弱化は西風偏差を意味し、この西風偏差による風応力は赤道海洋表層の流れの収束を通して水温躍層の深さを押し下げることで暖水ケルビン波*) を励起する。中部から東部赤道太平洋は水温躍層が浅く湧昇域になっているが、東へ伝播する暖水ケルビン波が水温躍層を深くしていくことで湧昇による冷たい海水の供給を妨げ、その海域の海面水温の上昇をもたらす。海面水温の上昇は積雲対流活動を活発化させることで、風応力による海洋表層の流れの収束を強める。このような大気海洋相互作用の正のフィードバックによりエルニーニョ現象は発達する。
一方、西風偏差による風応力は、赤道から離れた海域ではエクマン輸送の変化を通して水温躍層を浅くする働きをし、冷水ロスビー波を励起する。ロスビー波は西進し、太平洋の西岸境界で冷水ケルビン波として反射する。この反射ケルビン波は暖水ケルビン波とは逆に水温躍層を浅くする役割を担っているので、赤道太平洋を東進する過程で負のフィードバックが働き、エルニーニョ現象を終焉させ逆にラニ-ニャ現象の状態に遷移していく。中部から東部赤道太平洋域では海面水温低下に伴い積雲対流活動が抑制され、貿易風の強化(東風偏差)が生じる。今度は前述のシナリオとは全く逆のプロセスが進行する。これが遅延振動子理論である。
西岸境界で反射された赤道波が「遅れ」て負のフィードバックをもたらすことで、中部太平洋の大気海洋結合不安定が反転し定在的に振動する。その意味で、太平洋西岸での赤道ロスビー波の反射がこの理論の本質である。
*注) 赤道ケルビン波は東へ伝播する性質、赤道ロスビー波は西へ伝播する性質を持っている.暖水(冷水)という呼び方はこれらの赤道波が水温躍層を深く(浅く)するという意味で便宜的に使用している。
2.西太平洋振動メカニズム
対照的に、太平洋西岸での赤道波の反射を考慮しなくてもENSOの定在振動が説明可能であるという別の振動子理論、すなわち、西太平洋振動子(western Pacific oscillator)理論が提案された(Weisberg and Wang, 1997)。暖水ケルビン波による海面水温の上昇は同じ考え方である。
中部太平洋では海面水温の上昇に伴い積雲対流活動が活発化する。その対流加熱が強制となり、熱源の西側の大気下層(上層)では赤道を挟んで双子の低気圧(高気圧)性の渦が生じる(松野-ギル型応答と呼ばれている)。この渦は大気の赤道ロスビー波によるもので、赤道から離れた海域では低気圧性の風応力偏差が海洋表層のエクマン発散を通して上向きの流れを力学的に励起する。結果的に、その海域での水温躍層が浅くなり、遅延振動子理論と同じく、海洋亜表層の冷水ロスビー波が励起され西へ伝播する。
西進ロスビー波は西部太平洋の海面水温を低下させるので、積雲対流活動が抑制されることで負の加熱偏差がもたらされ、(負の)熱源の西側の大気下層では今度は逆の、赤道を挟んだ双子の高気圧性の渦が生じる。双子高気圧偏差に挟まれた赤道域では東風偏差が強まり、その風応力により冷水ケルビン波が励起され東へ伝播することで、中部から東部太平洋の海面水温が低下する。そして全く反対のプロセスが進行する。
西太平洋振動子理論では、西部太平洋での大気海洋相互作用の重要性が強調されており、負の熱源に対する熱帯大気の応答(東風偏差)で励起された海洋亜表層の赤道波が負のフィードバックをもたらしている。西岸境界での赤道波の反射は必ずしもENSOの前提条件ではないという指摘は興味深い。
3.再充填-放出振動メカニズム
初期状態として中部から東部太平洋で海面水温が通常より高い場合、海水温の東西傾度が小さくなり、貿易風の弱化(西風偏差)が引き起こされる。気候平均場として、水温躍層は西部太平洋で深く、東部太平洋で浅くなっており、躍層深度は西へ傾斜している。西風偏差による風応力は、その水温躍層の傾斜を緩める(西部ではより浅く、中部・東部ではより深く)ことで東部太平洋の海面水温を上昇させる。そして、正のフィードバックでエルニーニョ現象は最盛期を迎える。
その間、西風偏差は一方では赤道を横切るスベルドラップ輸送の発散をもたらし、赤道から極向きに貯熱量を放出(discharge)させる。貯熱量の放出が続くとエルニーニョは衰退し始め、エルニーニョ現象が終息した時には、赤道太平洋の全ての経度で水温躍層が浅くなってしまう。西部太平洋では元々水温躍層が深いので、その変動は海面水温にほとんど反映されないが、特に東部太平洋では、浅い水温躍層は湧昇流による表層への効率的な冷水の供給を促すので、東部から中部にかけて海面水温が通常より低くなる。そしてラニーニャは全く反対のプロセスでピークに達するが、今度は赤道向きに貯熱量の再充填(recharge)が進行し、ラニーニャの衰退が始まる。
この再充填-放出振動子(recharge-discharge oscillator)理論(Jin, 1997)では、スベルドラップ輸送を通して赤道太平洋の貯熱量が極向きに放出、赤道向きに再充填というプロセスが定在振動をもたらしており、先の二つの理論(遅延振動子および西太平洋振動子理論)で強調された、水温躍層変動に対する東西方向の赤道波伝播の役割を特に必要とはしていない。
これらの振動メカニズムを抱合したような統一理論も最近提唱されているが、現実のENSOは周期的な変動をしている一方で、複雑な不規則変動ももっていることから、残念ながらどの振動メカニズムがENSOにとって本質的であるのかという検証は難しく、結論は未だ得られていない。
それぞれエルニーニョ期、遷移期、ラニーニャ期における赤道太平洋の大気海洋結合の様相を示す.
図中の「冷」「暖」は冷水・暖水偏差、「低」「高」は対流圏下層の低気圧・高気圧偏差を表している.