日本の夏季の異常気象とエルニーニョ南方振動(ENSO)
(「気候変動と水災害」信山社サイテック, 2002に掲載)
我が国では、1970年代終わり頃から最近にかけて、平均気温を1.5℃以上も下回る、あるいは上回る極端な冷夏・猛暑が起こりやすくなっていることが報告されている(新田、1996)。1.5℃程度の違いは取るに足らない変化であると思われがちだが、夏季3ヶ月平均での1.5℃の差は非常に大きなものである。極端な夏は豪雨・洪水災害、干ばつ・渇水災害や、同様に農作物に深刻な被害をもたらす冷害などの自然災害の頻発と密接に関連している。このような最近の傾向は特に北日本・東日本で顕著である。また、1960年代から70年代前半にかけては気温変動の振幅が小さく、さらに1950年代以前には振幅が大きい時期がみられ、10年以上の時間スケールで振幅変調のような現象が生じている。一体なぜ振幅変調のような現象が生じるのだろうか。その原因として以下のプロセスが明らかになった。
南アジア夏季モンスーン変動とENSOを関係づけるプロセスとして、ENSO発達期の赤道対称インパクトと衰退期の赤道非対称インパクトが存在する。赤道非対称インパクトは中央アジア地域の陸面水文過程が関係する間接的なインパクトで、モンスーン後期まで持続しない。赤道対称インパクトはインド洋から西部太平洋へ東進するウォーカー循環偏差の一部をなすものであり、むしろモンスーン後期に顕著である。準二年周期的なENSOの発達期にみられる赤道対称インパクトが1970年代後半以前の強いENSO-モンスーン関係をもたらしていたことが明らかになった。このように、ENSOの数十年スケールの変調と関係する、二種類のインパクトの組み合わせがENSO-モンスーンの相関関係を長期的に変えているのである。
日本の夏季天候との関係でいえば、赤道対称インパクトが明瞭であった1960年代から70年代前半までの期間では、フィリピン付近の対流活動偏差の局在化は不明瞭でPJパターンもあまり卓越しなかった。その結果、日本の夏季気温変動の振幅は小さく、比較的安定した夏が続いた。逆に 1970年代後半から90年代にかけての長周期ENSOの卓越により、ENSO衰退期の赤道非対称インパクトが顕在化し、フィリピン付近の対流活動偏差の局在化とPJパターンの励起が頻繁にみられるようになった。これにより、日本の夏季気温変動の振幅は大きくなり、不安定な夏が続いた。
左図は期間I(1960年代-70年代前半)、右図は期間II(1970年代後半-最近)
-最近の動向-
最近では1999年から2001年まで3年連続で猛暑の年が続いたが、夏季の西太平洋の大気の状態は右図と非常に類似しており、PJパターンの励起による暑夏のまさに典型例であると言える。
2002年の夏は一時的に最高気温の高い日が続いたが、大枠では北日本は気温が低く、西日本では気温が高いという北冷西暑の夏であったと言える。ちょうどエルニーニョ現象の発達期にあたり、特に7月には左図の符号を反転したパターンが観測された。その意味では、ENSO発達期の典型的なパターンであり、 2002年は異常な夏とは言えないだろう。